2013年08月06日
『反転爆撃』説の紹介
SAMURAI HAIR(HP♪)は・・・
(美容室は、女性ばかりで緊張するし・・)
(理容室は「カチッ!!」と、されそうじゃし・・)
『ワシは、一体・・どこで髪切りゃエエんじゃぁ~!!』と、いった悩める男性の為の・・・男性専用美容室です!!
今の日本には男前のオトナ・・『SAMURAI』こそが必要だ!!と、思われる方は・・ポチッ♪とお願いします!!

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広島で原爆を体験した若木重敏氏は、アメリカ軍の爆撃機B29が、広島への原爆投下に先立って『巧妙なトリック』を仕掛け・・
人間の被害を極大にした!!と、述べている。
(1994年に出版された若木氏の著書『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』光文社より)
若木氏によれば・・
8時15分の前に、爆撃機は広島市上空を旋回し、警戒警報を出させ・・
その後いったん飛び去り、
警報が解除されて市民が安堵感から防空壕や家から外に出てきた頃合いを見計らって、直ちに「反転」して広島市上空に戻り、原爆を投下したという。
その証拠に、「エノラ・ゲイ号」とその僚機の当日の航路など、具体的な行動記録については現在に至るまで公表されていないという。
若木氏は、次のように述べている。
『爆撃を行なった当のアメリカの権威ある数多くの著書のどれにも、
エノラ・ゲイ号が日本に近づいてから、どんな航路を取り・・
またどこでどのように進路を変えたか・・の、具体的な記述をしたものは一冊もない!!
これは実に異様なことである。
その異様さの第一は・・
日本の海軍も陸軍もNHKの放送も、豊後水道および国東半島を北上した大型3機が広島上空に来襲し旋回したので警戒警報が出されたといっているのに、アメリカのどの文献にもその3機のことについての記載が全く出てこないことだ!!
また、アメリカの文献では一様に気象観測機のストレート・フラッシュ号が広島を襲ったので7時9分に警報が出されたと書いている。
日本のどの記録にも、ストレート・フラッシュ号のことなどは問題にしていない。
問題にしているのはアメリカ人だけである!!
第二は・・
広島が被爆したときに空襲警報も警戒警報も発令されていなかったことは明白な事実なのに・・
アメリカの代表的な著名文献の全てが、被爆時、警報は発令されていた!!と、例外なく書いているのである。
この明白な2つのウソをなぜ揃いもそろって書かなければならなかったのだろうか!?
それは・・この2点こそが、アメリカ空軍の作戦を立てた人が、日本人に、いや世界の人に最も知られたくない問題点であったからではないかと私は思うのだ!!』
そして・・若木氏は、自著の中で数々の「傍証」をあげながら、次のように述べている。
『私は自分の得た情報に基づき・・
エノラ・ゲイ号らは、いったん広島上空を西から東に飛び、ついで方向を東から西に変え、
いわゆる『反転爆撃』をしたのではないかと推測している・・。
爆撃機(3機のB29)が広島上空を旋回し警戒警報を出させ、播磨灘に抜けたのは7時25分であり、警報解除になったのが7時31分である。
〈中略〉
すなわち、
私は、爆撃機がいったん広島上空を飛んで警戒警報を出させ・・ついで飛び去り・・
警報が解除になり人々が防空壕から出て・・
リラックスしたその瞬間を狙って爆弾を炸裂させた、謀略的に人間の大量殺戮実験を行なったのではないかという懸念を抱いているのだ!!
〈中略〉
広島爆撃の2ヶ月前の名古屋空襲でも、警報解除後を見計らっての爆撃という同じことが行なわれ・・
恐るべき人員殺傷効果を上げた事実がある。
警報発令、次いで解除された状態で、アメリカ空軍が爆撃して大きな殺傷効果を上げたことは、すでにヨーロッパで実験済みである。』
“広島被爆後50年経った。そろそろ、本当のことをアメリカのジャーナリストが、調査し報告してくれてもいいのではないかと考えるのである。本書以上の検証は日本人には不可能に近いのではないかと身にしみて感じているからだ。こんな本を書くと、私は反米主義者ととられそうだが、お断りしておきたいことは私は反米主義者ではなく、むしろ親米主義者に近いつもりである。”
このように若木氏は述べておられるが、氏が主張する『反転爆撃』説は、果たして正しいのか否か・・。
これは非常に重要なテーマだと思うので、今後、新しい研究(新資料の発掘など)によって、この問題が完全解明されることを期待したい。
著者・若木氏は京都大学理学部卒の工学博士で、
戦後は、抗生物質並びに抗ガン物質の研究に従事し、
1972年に「紫綬褒章」受章、1987年に「勲三等旭日中綬章」受章、
1989年には「高松宮妃癌研究基金学術賞」と
「ベルギー王冠コンマンダー勲章」を受章
JUST DO IT !!
一歩前へ!!
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人間の被害を極大にした!!と、述べている。
(1994年に出版された若木氏の著書『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』光文社より)
若木氏によれば・・
8時15分の前に、爆撃機は広島市上空を旋回し、警戒警報を出させ・・
その後いったん飛び去り、
警報が解除されて市民が安堵感から防空壕や家から外に出てきた頃合いを見計らって、直ちに「反転」して広島市上空に戻り、原爆を投下したという。
その証拠に、「エノラ・ゲイ号」とその僚機の当日の航路など、具体的な行動記録については現在に至るまで公表されていないという。
若木氏は、次のように述べている。
『爆撃を行なった当のアメリカの権威ある数多くの著書のどれにも、
エノラ・ゲイ号が日本に近づいてから、どんな航路を取り・・
またどこでどのように進路を変えたか・・の、具体的な記述をしたものは一冊もない!!
これは実に異様なことである。
その異様さの第一は・・
日本の海軍も陸軍もNHKの放送も、豊後水道および国東半島を北上した大型3機が広島上空に来襲し旋回したので警戒警報が出されたといっているのに、アメリカのどの文献にもその3機のことについての記載が全く出てこないことだ!!
また、アメリカの文献では一様に気象観測機のストレート・フラッシュ号が広島を襲ったので7時9分に警報が出されたと書いている。
日本のどの記録にも、ストレート・フラッシュ号のことなどは問題にしていない。
問題にしているのはアメリカ人だけである!!
第二は・・
広島が被爆したときに空襲警報も警戒警報も発令されていなかったことは明白な事実なのに・・
アメリカの代表的な著名文献の全てが、被爆時、警報は発令されていた!!と、例外なく書いているのである。
この明白な2つのウソをなぜ揃いもそろって書かなければならなかったのだろうか!?
それは・・この2点こそが、アメリカ空軍の作戦を立てた人が、日本人に、いや世界の人に最も知られたくない問題点であったからではないかと私は思うのだ!!』
そして・・若木氏は、自著の中で数々の「傍証」をあげながら、次のように述べている。
『私は自分の得た情報に基づき・・
エノラ・ゲイ号らは、いったん広島上空を西から東に飛び、ついで方向を東から西に変え、
いわゆる『反転爆撃』をしたのではないかと推測している・・。
爆撃機(3機のB29)が広島上空を旋回し警戒警報を出させ、播磨灘に抜けたのは7時25分であり、警報解除になったのが7時31分である。
〈中略〉
すなわち、
私は、爆撃機がいったん広島上空を飛んで警戒警報を出させ・・ついで飛び去り・・
警報が解除になり人々が防空壕から出て・・
リラックスしたその瞬間を狙って爆弾を炸裂させた、謀略的に人間の大量殺戮実験を行なったのではないかという懸念を抱いているのだ!!
〈中略〉
広島爆撃の2ヶ月前の名古屋空襲でも、警報解除後を見計らっての爆撃という同じことが行なわれ・・
恐るべき人員殺傷効果を上げた事実がある。
警報発令、次いで解除された状態で、アメリカ空軍が爆撃して大きな殺傷効果を上げたことは、すでにヨーロッパで実験済みである。』
“広島被爆後50年経った。そろそろ、本当のことをアメリカのジャーナリストが、調査し報告してくれてもいいのではないかと考えるのである。本書以上の検証は日本人には不可能に近いのではないかと身にしみて感じているからだ。こんな本を書くと、私は反米主義者ととられそうだが、お断りしておきたいことは私は反米主義者ではなく、むしろ親米主義者に近いつもりである。”
このように若木氏は述べておられるが、氏が主張する『反転爆撃』説は、果たして正しいのか否か・・。
これは非常に重要なテーマだと思うので、今後、新しい研究(新資料の発掘など)によって、この問題が完全解明されることを期待したい。
著者・若木氏は京都大学理学部卒の工学博士で、
戦後は、抗生物質並びに抗ガン物質の研究に従事し、
1972年に「紫綬褒章」受章、1987年に「勲三等旭日中綬章」受章、
1989年には「高松宮妃癌研究基金学術賞」と
「ベルギー王冠コンマンダー勲章」を受章
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Posted by samuraihair at 22:05│Comments(0)
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